南米/アコンガクア
チリ・高所順応登山・エルプロモ(5430m)と
アルゼンチン・アコンガクア(6959m)
2006年12月23日〜2007年1月14日
参加者 日本からは 長谷川を含め11名
アメリカから 1名 合計12名
日本からのガイド 2名
現地ガイド 2名
12月23日 成田を14時30分出発、アトランタにて乗り換え
12月24日 チリサンチャゴへ着く(時差13時間)
(1名合流する)
25日、26日とエル・プロモベースキャンプへ向け一日6時間〜8時間歩き、27日13時30分にベースに付く(4300m)。
南米は夏の時期であり、街中は半袖、半ズボンであるがさすがにここまで上がると冷たい風が強く、かなり寒い。周りには雪渓も残り、上部にはかなりの雪も見えている。明日は出発が3時30分の予定である。
28日 予定と下り3時30分に出発、風が強く、寒い真っ暗な岩のガレ場を休憩も取らずにひたすら登り続ける。順応が良いためか苦しくもなく登れる。明るくなった6時頃最初の休み、以後体調により3パーティに別れ頂上を目指す。私を含め4人は12時15分に頂上に、目の前には真っ白なアコンガクアをはじめ素晴らしい展望であった。
4時間30分程でベースに戻る。結果、登頂者は7人であった。
29日、サンチャゴへ戻り、30日アルゼンチンのメンドーサへ。
31日、アコンガクア入山許可申請後いよいよベースキャンプへ向け出発である。ペニテンテスを経てコンフルエンシア(3300m)キャンプ場泊。
2007年1月1日、アコンガクアベースキャンプ(4230m)へ7時間30分ほど掛かり着く。広いBCであり、韓国人をはじめ世界中の国々からかなりの人である。もちろん日本人も北海道をはじめ、関西、中部、関東とかなりの人数であった。かなり日が長く夜は9時を過ぎないと暗くならない、また夕陽がきれいなアコンガクア西壁であった。
2日、今日は休養日であり、ベースにての検診である。内容は血圧、酸素飽和度、心拍数だけかと思っていたらもう一点、高山病の肺水腫の検査もあり、我が仲間の一人がひっかかり午後からペニテンテスのホテルへ、馬にて下ろされてしまう。私も翌日再検査、あと二人も高血圧で再検査になってしまう。
私は利尿剤のダイヤモックスを飲み、水分を多く取り翌日の検査にそなえる。血圧の人も下げる薬を飲む。
3日、朝から検査であったが、3人共なんとかクリアできた。11時過ぎにC1に向けて出発、いきなりの急登で風も強く、砂ほこりの中での登りであった。
途中カナダキャンプを過ぎたあたりから雪が降りはじめ、C1(キャンプアラスカ)に着いた時にはかなり降っていた。早々にテントを設営する(5371m)。この日は苦しくもなく熟睡はできなかったがそこそこは眠れた.。
4日、夜中には雪も上がり積雪はなかった。天気は晴れ、C2予定地キャンプベルリン(5933m)へ向けて歩く。相変わらずガレ場であり歩きにくい。
1時30分にはベルリンに着く。6000近い高度にしてはあまり苦しくなかった。行動食後BCへ向け下山する。行動中水分を多く取ることを言われるがなかなか取れず、後の肺水腫につながったのか。
5日はアタック前の休養日、天気は相変わらずの晴れ、氷河を挟んだ対岸のホテルにてシャワーを浴びる。7分の時間制限で10ドル、お湯もあまり出ず、高所だけにやはり高い。明日からのアタックにそなえまだ明るいうちに眠る。
6日、この日も天気は晴れ、急登からはじまり最初はよかったが、キャンプカナダを過ぎたあたりから少し苦しくなってくる。雪もまた降りはじめとても寒くなる。
夜間テントで眠ることができず、苦しんでしまう。浅い呼吸で息もできず、やばいと何回も考える。結局一睡もできず、夜中にガイドさんにも来てもらい朝を迎える。
7日は朝から自己判断で登頂を諦めることにする。ガイドさんにその旨を伝え午後からポーターさんと降りる。残念であるが仕方ない、この山での死はゴメンである。
降りた後また検査をされ、肺水腫であることが。BCで待つつもりが翌日にはペニテンテスへ降ろされてしまう。前に降ろされた古橋さんと合流、ホテルには他のパーティの方々も降ろされていた。
2日後の9日、アタック隊はBCへ(10名中、7名が登頂)、10日にホテルへ。
11日、サンチャゴへ、12日、サンチャゴの街を歩き、夜に帰国の途へ。
14日、午後成田へ
結果は以上です。始めての7000m近い山、登頂はできませんでしたがいい経験はできました。やはり一年以内に高山に行っておく事、事前のトレーニングも肺を考え、負担を掛けるトレーニングを。是非ともまたチャレンジしたいです。
(長)