マレーシア/キナバル山
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【期 日】 |
2007年2月24日〜3月1日 |
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【メンバー】 |
澤田 小倉 他12名 |
小倉さんのお誘いでキナバル山登山のツアーに参加する。関根さんにその話をすると早速わらじの年報のコピーを送ってくれた。1980年の若林・矢野さんの記録である。東南アジア最高峰ということで、高山病の心配もある。2人で低圧室トレーニングに通った。結果―私としては効果は?だが、心理的には何となく安心感ができた…かな。1997年のムスターグ・アタ(7546m)登頂から10年もたっているのだから、加齢も加わって不安があったのは仕方がない。
マレーシアのキナバル山って熱帯のジャングルの中?…というくらいの予備知識しかない。帰国してから少々調べてみた。マレー半島南部とボルネオ島北東部をマレーシアと呼ぶ。面積は日本の9割くらい(33万平方キロ)で時差は1時間だから台湾と同じだ。キナバル山はボルネオ島のほうにあり、州都のコタキナバルから首都のクァラルンプールまでは1600kmも離れていて、フリピンのマニラの方が地理的には近い。住民はマレー人が過半数、ついで中国系・インド系が多い。産業は古くから錫の鉱山やゴム園などが主で交通網はそれに直結して発達した。国の歴史は、1403年(日本の室町時代)にマラッカ王朝が成立した。1511年にポルトガルが進出、以後オランダ・イギリスなどの植民地になった。1900年代に入って日本もゴム園や錫鉱山事業に参入、太平洋戦争で1941年に日本軍に占領されたが、1945年日本の敗戦によりイギリスに帰属、1957年に独立した。今年は建国50周年になり、空港や街中でそのポスターがたくさん目についた。
シンガポールは1963年に結成されたマレーシア連邦から2年後に分離・独立した国である。中国系住民が7〜8割を占めるシンガポールとマレー人主体のマレーシアとは一つの国にまとまるのは難しいことなのだろう。サンスクリット語でシンガ(ライオン)ポール(町)という意味で、シンボルはライオンである。クァラルンプール〜シンガポール間は約400キロ、鉄道で6時間だ。淡路島くらいのシンガポールは驚異的な国際都市に変貌していった。
というわけで、マレーシアは明治以降の日本とも深いつながりのある国である。キナバル山があるボルネオ島もマレーシアとインドネシアとブルネイの3つに国が別れている。何故? どういう経緯なのか? 後日調べてみよう…。
キナバル山はイギリスの統治下にあった1851年にイギリス人植物学者ヒュー・ロウが試登したのが初めといわれている。1888年に動物学者ジョン・ホワイトヘッドが最高峰の登頂に成功し(4095m)、ヒュー・ロウの功績をたたえてロウズ・ピークと命名した。亡くなった人の魂が宿る聖なる山「アキ・ナバル」と呼ばれているこの山の3800m以上は熱帯樹林を抜けて花崗岩の岩峰が幾つもある。2000年12月に世界遺産に認定され、登山コースも途中の小屋も、ヘリポートも整備されて、普通の登山者なら安心して登れる。
入り口となるPHQ公園事務所は標高1500mで、申請書を出して登山料を払うとプラスチック板のNO入りの名札を渡される。登山終了まで常に携行していなくてはならない。最上部のサヤサヤヒュッテ(3800m)のところにもゲートがありチェックを受ける。下山の時も同じだ。日本の富士山マラソンみたいに、頂上往復のレースもあるというが、さぞ過酷なレースだろう。普通2日、ゆっくりだと3日かけて往復する。
2月24日 成田―クァラルンプールーコタキナバル
アルパインツアー社から石部さんと私達6人、1330に成田を出発、クァラルンプールで関西からの8人と合流、2130に乗り継ぎ、コタキナバル着が真夜中過ぎになった。
機内にすわりっぱなしで疲れ、ホテルに着いたらすぐ寝る。
2月25日 市内観光のあとキナバル山麓へ
午前中は市内観光、大きなモスクの外観に目を見張る。コーランの世界だ。東南アジアといってもここはイスラムの国なのか?ーと思った。次に州立博物館で先住民族の住居跡を各種見てまわる。部族により少しづつ差がある。戸外は強い日差しだが展示室に入ると寒いくらい冷房が効いていた。そしてマーケット散策、特に買いたいものもないし…、展望台に上がって市内を俯瞰する。昼食後、いよいよキナバル山麓に向かう。
PHQへ寄ってから車で30分ほど離れたメシラウ・リゾートのコッテージへ、自然の景観にあわせた別荘ふうの建物が幾つもある。明日に備えて荷造りして寝る。
2月26日 晴、一時雨、のち晴 入山―ラバンラタ小屋(3323m)
コッテージの食堂で朝食後、PHQへ行きシャトルバスに乗り換える。山中1泊ということで、5キロまでなら荷物をポーターに頼める(有料・ツアー料金に含まれている)。私はトレーニングも兼ねて全部自分で持つことにした(約8キロ)。内訳は貴重品・雨具・防寒具・水1、5L・行動食・着替え・洗面具・灯・軍手・毛糸手袋・帽子・サンダル・他である。
ゲート(標高1800m)で各自名札のチェックを受けて9:10歩き出す。私の名札にはAC26(002)Bと書いてある。名札の表側にはキナバル山の写真とともに
Take nothing but photographs , Leave nothing but footprints
と書かれてある。登山者はこの名札を携行して往復ともゲートでチェックを受けるのだ。日本を代表する富士山でこの方式を採りいれたらどうなるだろう・・・。チップトイレは有料です、なんていうより入山料を払って、トイレは無料にして、その維持・管理に充当するほうが山をきれいにする…という観点からは効果があるだろうと私は思うのだがー。
樹林帯の登り、まあ大人数なのでゆっくりペースだが、ラヤンラヤン小屋(2740m)で昼食にする。昼食後出発しようとしたら<スコール>がきた。本当にたたきつけるような雨足だ。歩き出す前でよかった。ここのラヤンラヤンというのは、ツバメの巣という意味で、昨夜泊まったメシラウ・リゾートから直接登る登山道との合流地である。
途中ウツボカヅラの巨大な花が見られるというところでは小倉さんが写真を取りに下りていった。標高差はあと500mだが午後は疲れも出てくる。小倉さんが「足がつってしまった」という。休憩をとり最後尾になってゆっくりと登る。15:30、ラバンラタ小屋(3273m)に到着したが、満室で泊まるのはさらに上部のガンディンラガタン小屋(3323m)である。
今朝のゲートから1500mも上がったことになる。このあたりから頂稜部の花崗岩の巨大な岩肌が見える。みちみち覚えたマレーシア語は、ありがとう=テレマカシー、どういたしまして=サマサマ、である。トイレ=タンダスは昨日空港で真っ先に覚えた。
2段ベッド2組、4人づつの部屋に入り、夕食は下のラバンラタ小屋まで下りなければならない。メニューはバイキング式で山の中としてはまあまあだろう。いろいろな国の人たちで賑わっている。昨夜メシラウ・リゾートで一緒だった韓国・プサンから来たという人たちにも会った。メシラウコースから上がってきたという。日本からは他のツアーの一行20人くらいがいた。あとヨーロッパやアメリカから来たらしい人達など、英語なら通じる・・・。
2月27日 晴 頂上往復―下山―コタキナバルへ
真夜中1:30起床、ビスケットと紅茶で軽く腹ごしらえして、2時35分、灯をつけて歩き出す。最初から階段状でかなりきつい登りだ。途中スラブ状の岩壁にロープが張ってあるところもある。フリクションが効くので快適だ。4時サヤサヤ小屋で休憩、まだまだ暗い。前後の差があるので30分くらい休むが、富士山よりも高いが、今日は寒さを感じない。ゲートでチェックを受けて山頂へ向かう。暗闇の中に灯が続いていて真夏の富士山のようだ。
5時45分山頂に到着、日の出は6時過ぎになるが、あいにく雲が多くてきれいには見えなかった。しかし風もなく寒くもない。ピークが幾つもあってニョキニョキ…というふうに見える。ビクトリアピーク(4090m)、ドンキーイヤーピーク(4054m)、サウスピーク(3921m)、セントジョーンズピーク(4091m)、キングエドワードピーク(4086m)、メシラウピーク(3801m)、キングジョージピーク(4063m)などなど。主峰のロウズピーク以外はバリエーションルートで、岩登りとなるため予めPHQで許可をとる必要があるという。
すっかり明るくなった岩盤を下って8時ラバンラタ小屋に戻った。レストランで昼食の後9時30分下山にかかる。途中何回も休み、ゆっくりゆっくりだったので、膝も腰も痛くならず良かった。800m登って、2300m下ったことになる。13時30分ゲートに着いた時は、本当にヤレヤレだった。PHQへ戻りお世話になったガイドやポーターともお別れだ。
車でコタキナバルへ戻る。海辺のリゾートホテル、ステラ・ハーバー・リゾートへ16時到着。まあ、山ヤにとってはびっくりするような五つ星の高級ホテルだ!山が終わったのだ。
夕食はマレーシアの踊りを見ながら海鮮料理を頂く。石部さんによると参加者全員が登れたのは今回が初めてという。疲労や高山病など、原因はいろいろあるだろうがー。今回は話に聞くような物凄い<スコール>に直撃されなかったし、高山病らしき症状も私はなかった。
21時30分、五つ星ホテルに戻り就寝。
2月28日 マヌカン島―夜、クァラルンプールへ
一日ゆっくり海辺の休日を過ごす。沖あいに見えるマヌカン島へモーターボートで15分、住民はいない無人島というが、リゾート施設が整っているので、無人島なんていうイメージがまるで無い。ホテルから水着を着たままボートに乗るのだ。水中めがね・足ひれ、胴着をつけて海へー。磯で泳いでいる熱帯魚を観察する。きれい!! まるで水槽の中にいるようだ。私にとっては初めての経験だ。最初は水中呼吸が上手くできなくて、海水を何回も飲んでしまった。小倉さんに教えてもらい、やっと何とかなった。
昼食は林の中でバーベキューのバイキング、大きな山が終わりやっとみんなと親しくなれたのに、今夜は帰国なのだ。午後はホテルへ戻り専用のプールで泳ぐ。大小とりまぜて6〜7のプールがある。17時にはロビーに集合なので15時に切り上げて、シャワーを浴びて荷造りをする。5日間なんて本当にアッという間だ。空港で乗り継ぎの間に残っている通貨を使いきってしまおうと、みんな何かしら買い物・・・。23:50成田行きの機内に入る。
3月1日 成田―自宅
朝7時着、寝不足でフラフラ・・・。まずは登れてよかった。去年2月に行ったグアム島は、北緯12度でボルネオ島は北緯6度。まさに赤道直下の熱帯の高峰だ。ハワイは北緯20度だからキナバル山に比べればずーっと北になる。また赤道より南にあるバリ島(インドネシア)にもアグン山(3142m)という高峰がある。南緯8度、どんな山だろう。ちなみに世界最高峰のエベレストの緯度は日本でいえば沖縄あたりになる。私が登ったムスターグ・アタは北緯37度だから、エベレストよりもはるかに厳しい寒さの山ではないだろうかー。そしてアラスカのマッキンレー(6194m)は北緯63度という北の果てになる。厳冬の烈風に消えた植村直己を思いだす…。
(記 3/10 澤田幸子)
< 日 程 >
2/24 成田―クァラルンプールーコタキナバル
2/25 コタキナバル観光―キナバル山麓
2/26 PHQ−ラヤンラヤン小屋―ラバンラタ小屋―カンディンラガタン小屋
2/27 山頂往復―登山口―コタキナバル
2/28 マヌカン島―コタキナバルークァラルンプール
3/1 成田(朝)着
< レート > 3,000円 → 85,2リンギット(マレーシア・ドル)
< 低圧室の利用 > 2回分 諸費用込み 約20,000円
< 総費用 > ツアー代・低圧室・現地費用など ¥228,000.−